坂の上を目指した時代


1.二度の人口急増の時代

我が国のこれまでの人口の変化は、本川裕氏[1]の調査によれば、縄文・弥生時代以後、大局的には直線的に増加してきたが、急激な増加(いずれも100 年間で3 倍)を二度経験している。最初の急増は江戸時代初頭である。1600 年には1200 万人であった人口はその後100 年間余で3000 万人を越えるに至った[1]。その後の増加は停滞し、明治維新時の人口は3300 万人であったが、その後再び爆発的に増加し、100 年後の1967 年には1 億人に達した。その後も増加を続け、2000 年代半ばに1.2 億人台でピークを迎え、以後は微減をはじめている[2]。縄文期を除き、はじめて、人口の減少がはじまったのである。加えて、現在人口に占める65 才以上の割合は20%を越えており、このような少子高齢化社会も初めての経験である。
江戸時代には鎖国により、国内重視の政策がとられ、国内自給経済が形成された。戦乱の時代が終わり、江戸時代初期には、人口や経済の爆発的な成長が進行した。江戸時代における、人口、耕地、実収の変化を表1[3]に示す。大名の規模の大きな領内開発や小農民の自立に伴う皆婚社会化による出生率の上昇などが主たる要因と考えられている[2]。さらに農業生産力の発展を基盤として、経済的な繁栄が見られたのが元禄時代(1688-1703 年)である。貨幣経済が農村にも浸透し、後に元禄文化と呼ばれる独自の文化が発展した。18 世紀初頭には江戸の人口は100万人に達しており、当時世界最大の都市であった。表1[3]より人口の増加は1700 年以後停滞したが、経済成長は継続したことがわかる。日本の歴史において、それまでの先進国は中国であり、遣隋使、遣唐使を送り、また中国に学び都を築いてきた。一方、鎖国下の江戸時代においては、自らの目標を掲げ、世界を先進する様々なシステムを作り上げることに成功した。この間、鎖国のため、今日では多くを海外からの輸入に頼っている資源、エネルギー、食糧のすべてを国内でまかなっていた。しかしながら、その後300 年間に及んだ鎖国により、我が国は世界の発展に遅れ、黒船の来襲を契機に開国をし、倒幕派に破れ江戸幕府は崩壊し、江戸時代は幕を閉じた。江戸時代の日本のモデルは世界に広がるものにはなり得なかった。
二度目の成長期は明治維新後の100 年である。明治新政府は、殖産興業富国強兵を目的として、近代産業の育成を図った。様々な制度や産業を西洋より導入し、先進国を追いかけた。坂の上の雲の時代である。

2.近代工業の発展の時代

殖産興業は西洋からの技術移転により近代工業を育成することに重点が置かれていた[4]。技術移転の方法として、当初は外国人技術者を日本に招へいし、技術移転を促進する方式が取られたが、その後日本人技術者が技術の担い手となった。1871年には工学寮(後の工部大学校、東京大学工学部)が、1883年には東京職工学校(現在の東京工業大学)が設立され、工学教育、人材育成に大きな役割を果した。殖産興業政策は、工部省及び内務省を中心に進められ、富岡製糸場などの官営工場が設立された。1890年代に繊維産業の輸出に占める割合は50%強となり、製造工業生産額に占める割合は40%強となった[4]。綿紡績業では大型輸入機械を導入した近代的な綿紡績工場が次々と開業し、飛躍的に生産量が増加し、1890年に国内生産量が輸入量をはじめて上回った。重工業の発展は軽工業より遅れを取ったが、1901年に官営八幡製鉄所が設立され、釜石製鉄所などの民間の製鉄所の設立が相次ぎ、重工業の基礎となる鉄鋼の国内生産が本格的に行われるようになった[4]。その後日本は戦争の時代を迎え、経済は次第に戦時経済へと傾斜し、軍需産業のしめる割合が増えて行った。日本と主要国の世界の国民1人当たりのGDPの歴史的推移を図1[5]に示す。この頃から日本の1人当たりのGDPは、第二次世界大戦期を除き、急増していくことがわかる。

3.高度成長と公害の時代

日本は度重なる戦争により、多くを失ったが、1968年に日本の国内総生産(GDP)は米国に次いで世界第2位になるに至った。1964年には東京オリンピックを、1970年には大阪万国博覧会を主催し、国民の間に先進国の仲間入りを果たしたとの認識が広がった。1945年、第二次世界大戦での敗戦ですべてを失ってから、僅か四半世紀の間に日本は驚異的な復活・成長を遂げたのである。今日において、このような急激な成長を遂げている国はおそらく中国だけであろう。あまりにもその成長がうまく進んだため、大きく舵を切りかえる決断ができなかったことが、その後の「失われた40年」の大きな要因の1つである。もちろん、その背景には世界的な政治状況の変化があるが、現在においてわれわれの取り得る自由度は大きくなっている。
1960年代以後の10年毎のGDPに占める産業別の構成比(除く金融保険業)[6]を見ると、一貫して製造業の占める割合が最も高いものの、1970年代の39%をピークに単調減少し、2000年代には26%になった。一方で、不動産業やサービス業は単調に増加を続け、2000年代はそれぞれ16%、21%に達している。高度成長期においては、製造業の中心を重化学工業が担った。鉄鋼、造船などの戦前からの重工業に加え、家庭電化製品を生産する電気機械や自動車などの耐久消費財を生産する輸送機械関連の工業、プラスチックや合成繊維、合成ゴムを生産する石油化学工業などが発展し、産業の重化学工業化が進んだ[6]。同時に石炭から石油へのエネルギー転換が進められた。質が高く安い労働力がこれを支え、欧米の特許をもとに改良を加え、質の高い製品が開発され、Made in Japanブランドは世界に普及した。この間、急激な高度成長の矛盾は公害問題として顕在化し、また二度の石油ショックを契機にエネルギーコストが大幅に高騰した。これらの困難に対して、粘り強い対応がなされ、今日につながる低環境負荷型、低エネルギー消費型産業を創出することに成功した。
1980年代には自動車や家電のハイテク産業が中心となり、製造対象は、素材から組み立て品へと移って行った。当時、何をつくるべきかについては、まだ欧米から学ぶことができた。比類なき高性能で高品質の製品を作り出すことに成功し、日本製品は世界を席巻した。ちなみにEzra Feivel Vogelの“Japan as Number One”が発行されたのは1979年である。

4.日本国から目標を創る時代

1990年代初頭にバブル経済がはじけた。ときを同じくして、製造業においては空洞化が顕著になり、新しい製品そのものを創出しなければならない時代が到達した。1980年代に世界を席巻したハイテク製品は、国内での需要もあり、高度に作りこむ方向に進んだものの、国際的に新しい潮流を作り出すことができず、むしろ競争力を失っていった。このような傾向は携帯電話などで顕著で、「ガラパゴス化」と呼ばれている。
今日においては、環境、エネルギー、資源、水・食糧等の問題が相互に絡み合い、複雑な様相を呈している。1つの対策技術が他の問題を引き起こす例は枚挙にいとまがない。また国内においては急速に少子高齢化が進行している。日本はこれまでに人類が経験したことがない複雑な課題に直面している課題先進国である。これらは他の先進国にとっても避けることができない課題である。われわれが世界に先駆けて、これらの課題を解決することができれば、課題先進国から課題解決先進国に飛躍することになる。
零から社会そのものに大きな影響を与えるような製品や製法の開発例は、必ずしも増えていないのが我が国の現状であるが、ものづくりにおいては、高品質・高性能な製品を作り出す伝統を維持している。世界でも希有なものづくりの伝統を生かして、世界が求める未来を開発していることが求められている。開発対象は伝統を生かした製品(物)のみならず、社会システムや社会制度(もの)をも含む。
われわれは江戸時代の初期に自らの目標を定め、世界に先駆け、独自の発展を遂げた経験を有する。また明治維新後の100年間には、世界に冠たる産業国家をつくりあげることに成功した。歴史上、二度の急激な変化とそのときの成功経験を生かし、世界に向けて発信することが、強く求められている。

参考文献
[1]本川裕、社会実情データ図録(http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1150.html)Code 1150「人口の超長期推移(縄文時代から2100年まで)」
[2]総務省統計局、日本の統計(http://www.stat.go.jp/data/nihon/index.htm)2-1 人口の推移と将来人口
[3]速水融・宮本又郎[1988]「概説 17-18世紀」速水融・宮本又郎編『日本経済史1 経済社会の成立-17-18世紀』岩波書店
[4]平成12年度年次経済報告(経済企画庁)、第2章 持続的発展のための条件、序 明治以来の日本の経済
[5]本川裕、社会実情データ図録(http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/4545.html)Code 4545「1人当たりGDPの歴史的推移(日本と主要国)」
[6]永濱 利廣、産業構造変化、規模の変化などの概観、財務省財務総合政策研究所「フィナンシャル・レビュー」June(2002).
大久保 達也(おおくぼ たつや)
東京大学大学院工学系研究科 化学システム工学専攻 教授
東京大学工学部化学工学科卒業。同大大学院工学系研究 科化学工学専攻博士課程修了(工学博士)。九州大学工学 部応用化学科助手、東京大学助手・講師・助教授を経て、 2006年より現職。この間、California Institute of Technology 客員研究員(1993-1994)。専門分野は、化学工学、ナノ材料化学。

主な著書
大久保達也(分担執筆)、「ゼオライトの科学と工学」小野嘉夫、八嶋建明編、 講談社サイエンティフィック、(2000).
大久保達也(分担執筆)、「 ナノパー ティ クル・ テクノロジー」細 川 益 男 監 修、 野城清編著、日刊工業新聞社、(2003).
大久保達也、小倉賢(分担執筆)、「新時代の多孔性材料とその応用 ?ナノサ イエンスが作る新材料?」北川進監修、シーエムシー出版、(2004).
経歴・業績詳細
URL:http://www.zeolite.t.u-tokyo.ac.jp/okubo.htm


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