有限の地球


1.太陽系第3 番惑星としての地球

われわれが住んでいる地球は、金星、火星とともに、地球型惑星として知られている。地球型惑星の特徴の一つに、地殻をもっていることが上げられる。また、地球は、固体、液体、気体という水の3 態が共存する水惑星として知られている。特に、液体の水の存在は、生命の生存可能条件を与えているし、海と陸が存在するのも大きな特徴である。また、地殻の下には、高温のマントルなどが存在し、火山活動や海洋底の拡大などを通してわかるように、「生きている」惑星であることも特徴の一つである。地球の歴史の中で、地殻は大きな変動を繰り返しており、海陸分布も変化している。もっとも重要なことは、現在の地球環境は、生物過程と地球自身の物理・化学過程との共同作業で形づくられたということである。たとえば、地球大気の主成分は窒素と酸素であるが、この酸素は、生物活動によって作り出されたものである。しかしながら、光合成によって作り出された酸素は、一定の時間スケールでは、呼吸や腐敗・分解などにより使用され、大気中に残らない。光合成によってつくられた有機物が堆積岩などに取り込まれることによって、長い時間かかって大気中に堆積してきたのである(和田、1999)。
最近では、人間活動に寄る化石燃料の燃焼などが大きくなり、大気中のCO2 濃度などが増加していることはよく知られている事実である。しかし、一方では、この燃焼に伴い酸素濃度が減少していることにも注目する必要がある。国立環境研の記者発表(2008)によると、1 年間に3.7ppm の酸素が減少していることが観測されている(図1)。現在の酸素の量は、空気中の約21%であるが、これが18%程度になると人間の健康などに影響が出てくるとされている。もし、他の条件を無視し、化石燃料が無限にあると仮定して燃焼を続けたとすると、おおよそ、8000 年程度で酸素の分圧が人間の生存に適さなくなってしまうことがわかる。使ってしまえばなくなる資源のことを、枯渇性資源と言う言葉で表現するが、循環を考えなければ酸素ですら枯渇性資源と考えるべきなのである。要するに、地球は無限ではなく、有限の容量を持っているのである。

図1 波照間、及び、落石で観測された酸素量(上)、および、2酸化炭素量(下)の1997年から2003年への変化。体積比で、単位はppm。(国立環境研記者発表より)

地球と言う惑星は、エネルギーに関しては、太陽からエネルギーを受け取る、開放系であるが、物質に関しては、閉じた系と考えられる。そこでは、物事の変化は、循環として表れてくる。
地球上の循環の中で、最も重要なものは、太陽エネルギーにより駆動されているエネルギー・水循環、そして、それにともなう生元素、即ち、炭素、窒素、硫黄、リン(C、N、S、P)の循環(これを物質循環、あるいは、生物地球化学的循環という)と、マントル対流に伴うような地殻の運動に大別される。エネルギー・水循環や物質循環は早い時間スケールを持つのに対し、地殻の運動は、遅い時間スケールを持つ。今、人間社会の持続性を考えるならば、主として、短い時間スケールに着目することが重要である。その限りでは、人間を取り巻く環境は、一方向に物事が進むような特徴を持っていない。様々な物質やエネルギーが循環することにより、一定の状態が維持されているのである。
ここで、時間スケールに留意する必要があることを強調しておきたい。地球環境問題の話をすると、地球の歴史を例にあげて、「地球はもっと大きな変動を繰り返してきた。今の人間が与える影響などは、これに比べれば取るに足らない」というような意見を言う人がいる。確かに、地球と言う惑星の歴史、地質学的スケールで考えれば、地球の歴史は、誕生時の“熱い”惑星から、徐々に冷えてゆくプロセスであり、その過程で、さまざまな物質が分化してきたと考えてよい。また、生物についても、進化があり、一方向に動いているような印象を受ける。さらに、この分野では、さまざまな種が絶滅し、新たな種が生み出されるなどのダイナミックな変化を繰り返している。したがって、「人類も環境に適合しなければ、絶滅して、新たな地球環境が作られてゆくから気にする必要はない」とシニカルな立場をとりたがる人もいると思う。ただ、これに対しては、現実の問題にかかわるのを避け、傍観者の立場を保持し、現実の困難から無責任に逃げ切りたいと言う匂いを感じる人も多いことであろう。
現在、われわれが考えている問題の時間スケールは、現在から、たかだか100年、200年という時間スケールのことである。そのことに留意をして、現実的なアクションを選択してゆく必要がある。

2.エネルギーと水

地球表層環境を考える時に、重要となるのは、まずエネルギーと水である、というのは異存がないであろう。エネルギーとは、すべての活動の原動力であり、水は、地球を特徴づける物質であり、生物の存在に不可欠であるからである。ここで、再度強調するが、地球環境を考えているのは、あくまでも、人間社会の持続を考えるからである。
地球表層環境への主たるエネルギーの供給源は、言うまでもなく太陽放射である。太陽放射は、太陽の表面温度、約6000Kの熱放射と考えられ、地球の惑星アルベドを0.3とすれば、全球平均の大気上端でのエネルギー流入量は、1日平均で、約340W/m2程度である。これに、地球の全表面積をかけたものが、1日当たりの太陽エネルギー流入の上限値となる。もちろん、入ってくるばかりであれば、地表面の温度は上昇を続けてゆくが、温度を持つ物体はその温度に対応する熱放射を出して冷えてゆく(シュテファン・ボルツマンの法則)ので、宇宙に向かって、エネルギーが放出され、一定のバランスが実現されることになる。ただ、地表の上が真空ならば熱放射によって宇宙に出てゆくだけであるが、地球は大気をもっており、その中の温室効果気体成分により地表からの放射は吸収され地表に送り返される。これを温室効果と呼ぶが、その結果として、地球の気候は決まってくる。この関係は、地球に関する放射収支とよばれ、多くの研究がある(図2)。地表から、上層の大気に熱を運ぶプロセスには、伝導、対流、放射という3つのプロセスが関与する。中でも、地球表面から、水が蒸発することにより、水蒸気という形で熱エネルギーを輸送するのが、地球の気候の特徴である。したがって、エネルギーのやり取りをエネルギー収支、水の蒸発、降水、輸送などを水収支と呼ぶが、両者は強く関連していることになる。このように、水と言う物質が運ばれると同時に、熱エネルギーが運ばれるのが地球の気候の特徴である。
ここで、エネルギーと言う場合には、生物活動などを含むすべてのプロセスを含んでいることに注意してもらいたい。したがって、エネルギーの収支を考える場合には、食糧や水資源、生態系サービスなどの直接的なエネルギーと関係なさそうな要因にも配慮する必要がある。また、どのような時間スケールでバランスを考えるのか、と言う点も問題になる。石油や石炭などが、太古の植物や動物によるものとすれば、それも、過去の太陽エネルギーの缶詰と考えることができる。したがって、過去の遺産を食いつぶしてもいいと考えるか、否かで、結論は異なってくる。
空気の循環などを考える時には、地球が太陽の周りをまわっていることから考えて、1年が基本となる。したがって、基本的には、年単位でのバランスが基本となろう。農業で代表される食料生産が、基本的には、年が単位となることからも納得できよう。
次に、基本となる水について考えてみよう。地球の水の総量は、13億8600万km3とされ、97.5%が塩水、2.5%が淡水である。言うまでもなく、人間にとっても生物にとっても淡水が重要である。この淡水の中で、湖、土壌水分、河川などの人間に利用可能な量は、13万5000km3(0.4%)、利用可能な地下水が1060万km3(30.1%)、残りの2450万km3(69.5%)が利用不可能な水の量である。したがって、この利用可能な淡水資源と言うのがもう1つの限界になる(水の世界地図第2版参照、2010)。なお、淡水を作るには、大気中の水蒸気を凝結が基本であるが、この大気中の水蒸気を維持するためには、地球表面からの水の蒸発が不可欠となる。しかし、蒸発は勝手に起こるのではなく、エネルギーを必要とする。太陽エネルギーを用いて、海面や陸面から水蒸気が蒸発しているのである。日本などでも、空梅雨から夏の猛暑と干ばつが問題となることがある。このような時でも、たった1つの台風が日本に来ることによって干ばつが解消する。このように、自然の力は極めて大きいのである。
ここで、海水淡水化などのテクノロジーの可能性を上げるかもしれない。しかしながら、このような人為的な対応にはエネルギーを必要とするので、それほど長期に継続するのは困難と思われる。そこで、サウジアラビアなどの海岸地帯の砂漠では、海水淡水化に伴い、沿岸地域に緑化を務めると、植生が大きく育てば、海洋から水が輸送され降水が生じることによって持続的に淡水が供給される可能性も検討されている。また、太陽エネルギーを用いて淡水化を行うことが考えられているが、自然の効率の前には、まだまだ時間がかかると思われる。

3.地球の有限性

地球上のあらゆるものが有限であること、言いかえれば、無限ではないことは、当然である(太陽系自体にも寿命がある)。したがって、有限性を議論する際には、何を基本にするか、を考えなければならない。
ここでは、人間社会のあり方を考えているのだから、人間圏の特徴的なスケールをとるべきであろう。基本的には、総量としての人口が挙げられる。人口に関しては、2011年現在で、70億と推定されており、さらに、2100年ごろには中位推計で90億程度になると推定されている。現在では、100億を超えることはなく、22世紀に向けて人口は減少してゆくと考えられている。理由としては、発展途上国の生活水準の改善に伴い、出生率が低下するからである。先進国で見られる少子高齢化は、経済状態が改善されれば、どこの国でも起きると考えられる。もっとも、これらの推測は、楽観的な推測(まがりなりにも、発展途上国が発展してゆくという推測)に基づいており、悲惨な推測もありうる。
次いで、エネルギーに関して言えば、人間社会で消費されるエネルギー量(特に、1人当たりのエネルギー量)、そして、1人当たりの水使用量、さらに、1人当たりの食糧などが特徴的な量として考えられる。

3.1 エネルギー

現在、人間社会が使用しているエネルギーの総量は、2004年現在、石油換算で1年間、約100億トンである。エネルギー消費量も、経済状態などを受けて変動するので、これからの計算は、大雑把なバランスを述べていることに注意してもらいたい。100億トンの石油は、4.25x1020ジュールであり、入射する太陽エネルギー(2.7x1024ジュール)の10000分の1.5程度であり、量的に問題になる訳ではない。また、歴史的に考えると、原始時代に比べて、現在社会のわれわれは、1人当たり100倍程度のエネルギーを使用している。しかしながら、生物としての生存に関する食糧に関しては、それほど大きな差異はない。違うのは、農業・工業、輸送、家庭・社会生活などの社会システムの維持に、膨大なエネルギーが必要とされるのである。さらに、食料にしても、餌と食事の違いがある。現在の食事では、単なるカロリーを補給する(餌)のではなく、“おいしさ”、“楽しさ”、“心の満足”を求めているために、調理や、調度・照明などの食事の雰囲気に多くのエネルギーが必要になってくるのである。
量的には十分と言っても、利用可能なエネルギー量となると話は違ってくる。現在、「石油だ、原子力だ」と言うような議論を行っているが、石油はもとより、原子力といえどもウランに頼る限り、いずれ、枯渇をすることは間違いはない。もちろん、核融合や高速増殖炉などの可能性を指摘する人もいると思うが、当面の実用化には程遠いと思う。したがって、将来的には、太陽などの再生可能エネルギーに依存するしかなくなることは自明である。
このような地球として供給できる量に対して、どの程度、人間社会が消費しているか?という面を明らかにする概念として、エコロジカル・フットプリントと言う概念が提案されてきた。「今のわれわれの生活を支えるには、地球がもう1つ必要になる」と言うような議論である。2007年の人類のエコロジカルフットプリントは、180億gha(グローバルヘクタール)、1人当たりにすると、2.7ghaとなる。地球の生物生産力(119億gha)は、1人当たり1.8ghaであるので、現在のわれわれの生活を維持してゆくためには、今の地球の1.5倍の地球が必要と言うことになる(WWF, 2010)。このフットプリントについては、計算が正しいか?方法は適切か?などの細かい議論があるが、概論としては、有効であろう。
ただ、ここにきて、根本的な考え方の変化に迫られたと言ってよい。今まで述べてきた議論は、主として、供給サイドの観点に偏って来ていた。石油などの化石燃料の問題も、従来は、ピークオイルなどで代表される供給不足の問題として考えられてきた。しかしながら、地球温暖化の問題が提起されてからは、大気中の2酸化炭素濃度をあるレヴェルで維持しなければならない、というような見解が普通になってきた。このことは、排出される2酸化炭素の循環を考えなければならない、という意味である。つまり、人間が排出した2酸化炭素を光合成で炭素と酸素に戻すには、植物活動が必要になる。その植物が生息できる、土地や海面が必要になる。そこで、このような量を測る単位として、カーボン・フットプリントと呼ばれるものがある。これは、人間活動に寄って放出された2酸化炭素のうちから海洋によって吸収されるものを除いた量を吸収するに必要な林地の面積で定義される。要するに、循環が重要になってきたことを意味している。現在では、これが先に述べたエコロジカル・フットプリントの50%程度を占めている。ちなみに、他の量としては、牧草地、森林地、漁場、耕作地、生産能力阻害地などがある。これらの量は、1961年と比較してもそれほど大きな伸びは示していない。
大気中の2酸化炭素は、微量と感じられるにもかかわらず地球の気候に大きな影響を与えるのは、放射収支に影響を与えるからである。図2の放射収支の図を眺めてもらいたい。地表面では、膨大な赤外放射が上空の大気からやってきており、また、ほとんど同じ程度のエネルギーが上空に流れているのである。この膨大のエネルギーの出入りを乱すので、地表温度が変化するのである。もっとも、その変化量は、地球の平均温度を287K、CO2倍増時の気温上昇量を3℃とすれば、変化量は1%程度にすぎない。言い換えれば、われわれの社会の存在は、これほどの少量の変化に対しても脆弱なほどに、高度に発展してきている、言いかえれば、遊びが少ない社会と言うことができよう。

3.2 水

人間の生存のためには、水が不可欠であることは言うまでもない。昔は、水不足、干ばつなどの量的な問題が中心であったが、最近は、特に汚染の進展に伴い、水質の問題も強調されている。したがって、現在では水の量と質が問われている、と言ってよい。
経済発展に伴い、われわれの社会に必要な水の量は増大し続けている。水は、単にわれわれの生存のために必要な訳ではない。現在、1日1人当たり1700リットルの水が取得されているが、これは、すべて、個人の生活に使われるわけではない。個人の飢えを満たすには、1日2リットルあればよく、生活用水としては、150リットル程度である(もちろん、生活スタイルで大きく異なる。アメリカの家庭の庭の芝生への水撒きなど無駄遣いと思うが、文化の違いだから仕方がないのであろうか?)。要するに、水の利用に関しては、70%が農業用水であり、20%が工業用水である。われわれの正確に必要な水の量は、10%である。したがって、水の利用は経済社会活動の在り方に大きく影響を与える。
これらの水資源に関しても、利用に関しては、新しい概念が導入されてきている。1つは、グリーン水とブルー水、さらには、グレイ水と言う概念の導入である。グリーン水とは、降水によって供給されている水であり、循環している水と考えられる。一方、ブルー水とは、地下などからくみ上げた水で、使用後に戻ってこないものを意味している。グレー水とは、汚染をきれいにするのに必要とされる水のことで、主として、環境保全などに用いられる水の量を意味する。これらの量の導入によりどのような水利用が行われてきているかを知ることができる。また、食糧や製品を作り出す時に必要とされる水のことをバーチャル水と呼んでいる。食料や製品を輸入している国は、それを生産する時に必要な水を輸入しているのと同じという概念である。これらの水に関しても、最近では、フットプリントの概念が導入されてきた。すなわち、ある食糧、ある製品を作るのにどれだけの、どのような水が使われているかを知ることができるのである。たとえば、コーヒー一杯について考えてみよう。ここでは、コーヒーの木を育て、豆を取り、燻製、精製・梱包・輸送、販売、そして、最後にコーヒーを淹れるのに必要な水をすべて足して求められる。ブラック・コーヒー一杯が140リットル、持ち帰り用のコーヒーラテが、200リットルとされる。持ち帰りの場合には、持ち帰り容器の生成に必要な水も足し合わされているからである。
幸いなことに、水の供給に関しては、自然のシステムにより一定の供給があるので、グリーン水に依存する限りでは、持続可能である。現在のわれわれは、地上に降る降水量の3分の1以下しか使っていない。したがって、量的には、まだまだ十分なのであるが、問題は、その分布が不均一なことである。熱帯雨林帯のように、膨大な雨が降る所もあれば、砂漠地域のような乾燥地帯も存在する。雨が降る所ばかりに適切な数の人が住んでいるとは限らないし、また、気候は毎年同じではない。ある年には豪雨が、ある年には干ばつが発生する。したがって、安定して需要を満たすためには、ダムなどによる水資源の管理、灌漑、地下水のくみ上げなどのインフラストラクチャー利用に依存せざるを得ない。ここでも、各国、各地域の経済力が物を言ってくる。
また、水は、限られた資源である。たとえば、河川の上流で取り入れれば、下流の地域は、水が不足することになる。したがって、水をどのセクターに、どのように分配するか?は、大きな問題であった。この水利権の問題は、国内でさえ大きな問題であるのに、複数の国にまたがる国際河川となると、さらに、大きな問題となる。これらのことも、われわれの社会のあり方が、地球の限界を大きくしていると言ってよい。
水の場合には、地球規模では問題とされてはいないが、2酸化炭素と同じように、廃水処理、下水処理などの問題を考える必要がある。地域的には、湖沼の富栄養化として表れてきている。さらに、東シナ海などの縁辺海の海洋汚染の問題として、毎年毎年深刻化している。これなどの、海洋や湖沼の自浄能力以上の負荷を与えないことが重要であり、肥料などの窒素やリンの循環と合わせて考えてゆく必要がる。

3.3 物質

われわれの生活には、さまざまな材料が必要となる。これらの材料は、宇宙の最初から、さまざまな核反応によってつくられてきたものである。隕石の分析から、太陽系ができた当時の元素組成が、Solar Abundanceとして知られている(図3)。地球も太陽系の一部であるから、当然、これが出発点となる。これに対し、地球の組成は、図4のごとく、鉄、酸素、ケイ素、マグネシウムなどが多い組成になっている。水素やヘリウムなどは、地球ができる際に、軽いので宇宙に放出されたものと考えられる。いずれにせよ、鉄の多い構成になっている。

図3 Solar Abundance. スケールは、任意であり、この場合は、Siを106と仮定。

図4 鉱物資源とエネルギー資源の生産量、埋蔵量、耐用年数。(岩波書店、地球環境論、2.4 地球資源問題の様相の表2.1を引用

地球上では、これらの元素は、化合物の形態をとっているものが多い。したがって、資源として取り出す場合には、酸化・還元などの化学反応を用いることが多い。これらの資源の中で、金属資源については、地下埋蔵量の推定が行われている。この推定埋蔵量を現在の生産量で割れば、耐用年数がでることになるが、鉛、亜鉛、金、銀、銅などの耐用年数は短い。これらの資源に関しては、資源の枯渇の問題が発生する。もっとも、これらの推定には誤差も多く、また、新しい鉱山も開発され、生産量も変化する。しかしながら、いずれにせよ、資源は有限であることは間違いがない。

4.地球の有限性の克服

地球の有限性は、探検隊によって確認されてきたと言ってよい。古代アメリカとポリネシアの交流を仮定するコンチキ学説は、コンチキ号の漂流実験によって確認された。少なくとも、古代においても、人々が大海原を渡る勇気と技術が存在したことは間違いがないと思われる。また、強大な帝国が成立すれば、それにつれて移動は盛んになる。ローマ帝国での道路網や、シルクロードは、その1つの証拠である。その根底には、征服欲・経済欲などの欲望もあるが、一方では、好奇心によって支えられていたと考えられる。
地球規模の有限性は、探検によって確認されたとしても、それは、社会的に確認されたことにはならない。つまり、個々人にとっては、地球は無限の広さを持っていたことになる。今日でも、個人として地球の有限性を自覚することは少ないと思われる。現在、われわれが「地球が有限である」という意識を持ちうるのは、地球の有限性に関する情報が容易に手に入ることになったことこと、知識量の増加に伴い地球人としての意識・認識が深まったことによるのである。
しかし、有限性に対して「われわれ、人間がどう取り組むべきか?」という点に関しては、大きく分けて2つの立場があり、人々の納得が得られる結論に至るには、まだまだ時間がかかると思われる。1つの立場は、有限性を克服して、つぎからつぎと、フロンティアを開拓して無限の領域の確立を目指すべきである、と言う立場である。この典型的な立場が開拓者魂であろう。地球の表面が有限で限界に達したならば、地中や海中、さらに、宇宙へと領域を広げてゆけばよい、とする立場である。当然、その手法としては、技術開発が中心になる。科学技術の進展も、この精神に引きずられてきたことは否めない。この立場を極端に進めれば、研究開発が引き起こす結果には目もくれず、開発にまい進する、という立場になる。これに対し、もう1つの立場は、無限に拡大してゆくのは不可能である、無限に拡大してゆけば、廃棄物も無限になり、必ず破綻する、という立場である。われわれの環境は、すべて物質が循環して安定しているのだから、その安定を維持し、限られた枠内で適応し、物にこだわらない深みを目指すべきであるという立場である。
さて、この両者をどう融合させてゆけばよいのであろうか?「困難に際し、あきらめない」というのは美徳の1つとされるし、「困難を克服する」という努力がない限り、人間社会の発展はないことは言うまでもない。地球上から、辺境が消えた今、このような開拓者魂は、宇宙に向かうことになる。火星へ進出、あるいは、テラフィーミングなどが語られる背景には、このような背景がある。しかし、この立場の背後には、大きな問題がある。難しい問題が起きた時に、それを解決しないで、新天地で新たな出発をすることによって対処してゆこうと言う感情である。地球の外に飛び出すにしても、コスト的に膨大な費用がかかる。その意味で現在は、地球が有限であり、それに関連した問題に対して、初めて、まともに対処せざるを得ない時代だと言うことができる。有限の地球の中で適応するというと、どうしても委縮するイメージを持ちがちであるが、そうではなくて、有限の地球の中でうまく回ってゆく新しい社会の創設に積極的に挑戦してゆくと言う姿勢を維持することが大事であろう。これこそが、新たなフロンティアを開拓することなのである。

参考文献
[1]国立環境研究所、2008:記者発表2008年1月23日 www.nies.go.jp/whatsnew/2008/20080123/20800123.html
[2]和田英太郎、1999:自然の価値、「地球の限界」水谷広編集、日科技連
[3]マギー・ブラック、ジャネット・キング、2010:水の世界地図、沖明訳、沖大幹監訳、丸善
[4]WWF, 2010:生きている地球レポート 2010年度版 www.wwf.or.jp/activities/lib/lpr/WWF_LPR2010j.pdf
住 明正(すみ あきまさ)
東京大学サステイナビリティ学連携研究機構 教授
地球持続戦略研究イニシアティブ 統括ディレクター
1948 年岐阜県生まれ。1973 年東京大学大学院理学系研 究科物理学専攻修士課程修了の後、東京管区気象台、気 象庁予報部電子計算室、ハワイ大学気象学教室助手など を経て、1985 年東京大学理学部助教授に就任。1991 年東京大学気候システム研究センター教授、1994 年同センター長就任に続き、2004 年 4 月 大学の法人化に伴い、東大全学の新しい試みとして始まったAGS(Alliance for Global Sustainability)の推進を図るAGS推進室長を務める。2006 年 8 月東京大学地球持続戦略研究イニシアティブ統括ディレクター就任。『熱帯大気・海洋系の相互作用の研究』で藤原賞を受賞。
主な著書
1986:気象における予測、予測(朝日出版社)
1993:気候はどう決まるか(岩波書店)
1999:地球温暖化の真実(ウェッジ選書)
2007:さらに進む地球温暖化(ウエッジ選書)
経歴・業績詳細
URL:http://www2.ir3s.u-tokyo.ac.jp/Akimasa_Sumi/index.htm


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