提言 プラチナ構想


プラチナ構想とは

途上国には先進国という目指すべき社会像がある。一方で、自らの未来を自ら決めなければならないのが先進国である。日本は先進国であり、すでに衣食住といった必需品を、ぜいたくをいわなければ容易に得られる豊かな社会を実現した。外国に目指すべきモデルを求めることは意味がない。どういう社会を目指すのかという問には、私たち自らが答えをださなければならないのだ。私たちが作りたい社会を、プラチナ社会と定義しよう。
私が提案するプラチナ社会は、エコで、高齢者が参加し、一生を通じて人が成長を続け、雇用がある社会である。これから多くの議論を経て、このプラチナ社会像は変貌し進化し続けるであろう。それは、歴史や地政学的な条件によって地域ごとに個性的様相を帯びるだろう。未来はだれにも分かりはしないのだ。
確かなことは、プラチナ社会を実現するために私たち自身が動き出す必要があるということである。プラチナ社会を目指す人々が連携して前へ進むための構想、それがプラチナ構想である。


日本は課題先進国である

機会をとらえて日本は「課題先進国」と言ってきた。そして、日本には、こうした課題を解決する力がある。かつて日本は公害列島と言われた。オイルショックで社会が狂乱したことも有った。そしてその公害問題、またオイルショックのエネルギー問題を解決してきた。
日本は国土が狭く、人口密度の高い工業先進国であったため、1950年代から70年代の高度成長期に、水俣病イタイイタイ病四日市ぜんそくなどの公害病を引き起こしてしまったし、駿河湾や洞海湾、隅田川や霞ヶ浦などの環境汚染もひどかった。当時公害は全国に拡がっていた。これに対して、産業が有害物質を取り除く技術を発展させ、公害を克服した。
日本はエネルギー価格が高いという課題を抱えたがゆえに、それを克服しようとして技術開発が不断に行われてきた。そして日本はエネルギー効率を高める省エネルギー技術を開発することで見事に危機を乗り切った。世界一エネルギー効率の高い製造業が実現した。
即ち、日本は公害問題、エネルギー問題を解決してきた実績を持ち、今やそうした技術を海外に展開することが出来るし、さらに期待もされている。技術力という点では、素材の開発から、最終製品まで作っていく技術を持っている国というのは、恐らく日本とドイツだけだろう。
日本は課題先進国であるが、その課題を解決する技術がある。自信を持って前進しよう。


日本が今目指すべきことは

20世紀において、先進国の多くは衣食住という人間の基本的欲求に関して量的充足を得た。日本では、家の戸数が世帯数を上回り、衣や食も、贅沢さえ言わなければ不足はない。これは先進国共通の現象であり、ブラジル、ロシア、メキシコなどが続き、中国も遠からず仲間入りを果たす。インドの経済成長もピッチを上げている。今世紀半ばを待たずに世界の大半が物的には充たされる時代を迎えるだろう。
21世紀のパラダイムは何か。私は「爆発する知識」「有限の地球」「高齢化する社会」の3つと考えている。3つのパラダイムは、人類にとって良い悪いということではない。それぞれが光と影をはらむ基本的枠組みである。
1つ目の「爆発する知識」であるが、もし、正しい知識を、正しい場所で、正しく動員出来るとすれば、人類が望むほとんど全てのことを成し遂げることが出来るといっても、さほど誇張ではないだろう。現在、世界が直面する二酸化炭素削減の課題にしても、地球上の人類60億人の人達全てに、人類が持つ最良、最善の知識を普及させることが出来るならば、容易に解決することが出来るはずである。
2つ目の「有限の地球」とは、それまで実質的に無限と言って良かった人類の生存基盤が、人類の活動の膨張によって明確に限界が見えてきたということである。幸いそれに対応する多くの分野において、日本は世界のフロントランナーである。高いエネルギー効率、高い資源利用の効率、環境を破壊しない技術の集積、高効率を誇る上水システムなど広範な分野で日本の技術や社会システムは世界のトップレベルにある。
3つ目の「高齢化する社会」に関しては、世界で最も急速に高齢化の進む日本にとって、危機ばかりが強調されているが、世界全体がそう遠くない将来に高齢社会を迎えるのである。
今、世界は、取り分け先進国は、目指すべき社会の姿そのものを競う時代にある。そして出発点は、そもそも私たちが欲する社会とは何かということであろう。
その社会の要件は、第1は、エコロジー、すなわち環境との調和・共存である。空や海や川が美しく、エネルギーや資源の心配がなく、地球温暖化の問題を解決している状況である。第2は、高齢者がいきいきと参加出来る社会である。活力ある高齢社会の実現は人類の課題だ。第3は、一生を通じて人々が成長出来る社会である。人生100年時代だ。「何歳で大学を卒業して、さあ一人前だから働きなさい」「何歳だから、ご苦労様」という仕組みはもはや成り立たなくなっている。第4は、年齢、性別に関係なく雇用が十分にある社会である。新しい仕事が生まれ、新たな雇用を生み出す社会である。
こうした条件を満たす社会は、快適で、プラチナのように威厳をもって光り輝いているはずだ。このような社会を「プラチナ社会」と呼びたい。自らのコミュニティーを生活の場として、自らの責任で目標を決め、暮らしを良くするために課題を克服し、創発を通じて豊かさを創り、自立共生的な生き方が出来る、そのような社会を創り上げる勇気こそが、日本の目指すべきモデルである。自分の考えを明確にし、自己決定的であることが真の自由に成る事である。我々は極めて自由な国に住んでいるが、自分が何を欲しているかはっきり自覚していないと、一時的な欲望に振り回される奴隷になってしまう。だから市民が主体となり自治体を場として、市民と産官学が連携して暮らしを良くして行こうというのが「プラチナ社会」である。しかしその試みが個々の地域で別々に行われるのでは大きな実は結ばない。個々の知恵には限りがあるし、産業化に達するだけの巨大需要を生むのは難しい。法規制や社会制度の改革に十分な力を持つ「声」にならないかもしれない。そこで同じ課題を持つ地域同士の連携、ネットワークが重要となる。ネットワークを組んで互いの知とアイデアを交換していけばより良い解決策も見つかる。地域の暮らしをよくする努力が、幾重にも重なり合って大きな需要となり新産業を生む。法や社会を変えるパワーともなりうる。もし、海外の人たちが「プラチナ社会」に魅力を感じるのであれば、やがてこの社会のモデルは、世界に受け入れられていくことだろう。その素地はきっとある。なぜならば日本の課題は世界の課題であるのだから。
日本が今目指すべきこと、それはプラチナ社会を実現することである。環境破壊的でない生活様式を確立して、今より幸せな社会を創るという決意を持つ、これがプラチナ構想の根底の考えである。そして、その具現化のための方策は次の7つのことだと考える。


自ら目標を定め世界のモデルを創って行く

先進国の日本は、自らの未来を自ら決めなければならない。その未来社会作りから始めよう。日本には世界どこにも負けない技術力がある。弱点はただ一つ、これまで何を創り出すのかを自ら決めてこなかったことだ。私たちは、自らが目標を定めて課題解決し、世界のロールモデルとなる先進社会を創っていく他はない。そこにこそ日本新生の道がある。日本の先端技術力と文化的創造力を持ってすれば、十分に可能である。先進的な解決こそが、新たな需要と雇用を生み出す新たな経済を創成し、世界的な解決する新しいモデルたりうる。
日本のように国土が狭く、人口が多く、地下資源に恵まれない国は少なくない。しかし、エネルギー、鉱物資源、木材資源、食料の自給を達成できれば、それが来るべき世界のモデルとなるのだ。日本が今対峙する課題に、近い将来、必ずや世界も直面することになる。従って私たち自身の課題を解決することで、日本は世界文明の発展に貢献出来るはずである。
日本は明治維新以降近代化を成し遂げて、非西欧系の国として世界のトップクラスにまで躍り出たことへの世界の評価は高い。徳川幕府が倒れて明治となり、そこから日本は欧米諸国を必死で追いかけた。「殖産興業」を掲げて、西洋から近代工業化に必要不可欠な繊維産業、肥料産業、製鉄業、医療などの技術を導入して、産業を育成して行った。司馬遼太郎の描く「坂の上の雲」の時代だ。坂の上の空に輝く白い雲は、西洋の社会であり、西洋の産業だった。明治の日本は、その雲を目指した。当時の手法は発展途上国の開発型モデルだった。国が主導で産業技術を導入し、産業を興してGDP(国内総生産)を増やし、その結果、国民の暮らしをよくするという考え方に立つ。その時は、坂の上に目指すべき雲、導入すべき先進国のモデルがあった。
その後、第二次世界大戦に負けた。物質的にはほとんど何もない状態から再出発し、「坂の上の雲」を目指して懸命に働いた。結果1960年代の終わりにはついにGDPで世界第2位の経済大国になった。実は世界の経済大国になった時点で、目指すべき坂の上の雲は消えてしまったはずだった。だから、欧米にキャッチアップする途上国型の発展モデルから先進国型モデルに移行しなければならなかった。にもかかわらず、その転換が行われずに日本は足踏みしてしまった。失われた40年である。「坂の上の雲」を追求した情熱すら失われていた。そこに現在まで続く問題の本質がある。
新たなビジョンを考える上で前提となるのは、「坂の上の雲の時代」は終わったという認識を出発点にする事である。


高齢化を越えて新しい世界を拓く

既に述べたが、高齢化は21世紀に人類が共通して遭遇する課題であり、日本だけの課題ではない。先進国全ての課題であるばかりか、もうすぐ新興国をも巻き込む人類全体の課題なのである。そして他の多くの課題と根底で関係する。
高齢化は長寿の結果であって、疑いなく良い事だ。我々は安心して長寿を謳歌出来る社会を作りたい。高齢化に対応する需要即ち、快適に、健康に、安心し、楽しく、歓喜を持って生きるために必要なもの、を需要として喚起していく、あるいは欲求と歓喜を需要として顕在化させ、その供給を創り出していくことで新産業を生み出すことが不可欠だ。ここに日本のチャンスがある。「ゼロからのものづくり力」がそこで生きる。ヨーロッパも高齢化社会を迎えているが、本当に困っている国々のなかで、ものづくり力がある国は多くはない。高齢社会で必要とされる新製品を開発する分野では、日本が長期にわたって優位性を維持出来る「モノ作り、コト作り産業」が育ち得る。
生命科学や認知科学などにより、物質・科学レベルで加齢と健康のメカニズムが解明されつつある。人間は、70歳くらいまでは言語力や日常の問題解決能力などが向上する。そして、平均的には死の2年ほど前まで、こうした高い能力が維持される。
老人学が提唱する「幸せな加齢の5条件」とは、1.栄養、2.運動、3.人との交流、4.新しい概念の受容性、5.前向きな思考、これら5つの条件が満たされれば健康に加齢することが出来る。もちろん幸せは個人的問題である。しかし、個人がこうした条件を満たすことを容易にするような社会環境を整えることが、良い高齢社会のための政策の根幹である。高齢者が生き生きし、地域経済が活性化し、医療費が削減され、「幸せな加齢の5条件」が実践されている社会、これこそ目指すべき高齢社会のモデルである。
その社会の実現には、ネルギー効率の高い生産技術や製品の開発、省エネ型住宅の普及、新しいテーラーメイド医療、過疎や過密に対応出来る交通システムや医療システム、そして高齢社会を支える新しい産業や社会システムの創出が必要である。何よりも、高齢者に適した社会システムの多くは、他の課題を同時に解決することが出来る。さらに言えば、知恵が高齢者の特質である。それを活用すること、高齢者の社会参加を推進することで、多くが現在の課題を解決する。健常者が非健常者にならないための一番よい方法でもある。したがって、健常高齢者や健常者に近い高齢者が社会参加出来るようにいかにして支援していくかがプラチナ社会では重要なテーマとなる。
加えて、予防医療の充実を図ることが、活力ある高齢社会に向けた基本政策である。インターネットによる医師の診察、現場で対応する看護師、助産師、X線技術師、検査技師などコメディカルと呼ばれる様々な医療技術師の人々、現場で利用しやすい診断チップや薬剤、機器、緊急時に患者や医師を輸送する緊急用ヘリコプターといった要素からなる全体システムが有効だろう。日本では日本人のデータを基にした医療の開発が必要である。そして、日本で分析したデータや日本で開発した医療システムは、体型が似たアジア地域に受け入れられやすいだろう。
高齢化社会のあるべきモデル、それは「幸せな加齢の5条件」を満たす事である。


エネルギーと資源の自給率を上げる

エネルギー効率を上げることで、エネルギー消費を減らす。物質循環型社会を構築することで、殆どの資源を再利用すると同時に、それによってもエネルギー消費を減らす。エネルギー消費の減少と、非化石エネルギーの利用増大によって、化石資源への依存度を低下させ、温室効果ガスの発生量を大幅に減少させる。
化石エネルギー消費を現在の45%まで減らし、非化石エネルギーを倍の32%にまで高めることで、エネルギーの70%を自給するエネルギー政策を提案したい。エネルギー供給の1%の規模にまでなりうる非化石エネルギーは、水力、太陽光、風力、バイオマス、地熱である。電力消費を減らし、原発の漸減を、省エネルギーと再生可能エネルギーで補填する。心すべきは、省エネルギーが最高の電源である。そんなエネルギー自給国家への道筋が見えている。22世紀以降は、太陽エネルギーを中心とする世界が実現する。新しいエネルギーシステムを大規模に導入するには、時間とコストがかかる。21世紀は過渡期であると位置付け、原子力をめぐる議論を建設的なものにする必要がある。
エネルギー消費は「ものづくり」と「日々の暮らし」という視点で分けて考えたい。2つの視点に分けると、いかにして減らすか合理的な議論が出来る。そして「日々の暮らし」にはかなり省エネルギーの余地がある。家庭の中で最もエネルギー消費が多いのは給湯である。エネファームは家庭用の燃料電池で、都市ガスやLPガス、灯油から水素を取り出して酸素と反応させて電気を作る。エコキュートは、エアコンと同じヒートポンプの技術を利用し、空気の熱を取り込んでお湯を沸かす電気給湯器である。普及が進めば、エコキュートエネファームは30兆円市場になる。実は、家庭用の燃料電池ヒートポンプ型の電気給湯器の量産体制に入っているのは日本だけだ。日本では遠からず発電効率が45%くらいにまで高まる製品が出る。そうなるといよいよ有力な技術となる。
自動車は、重さが半分ほどになり、電気自動車や燃料電池が普及すれば、車が消費するエネルギーは10分の1になる。世界の車の台数が現在の3倍になっても、ガソリン消費量が10分の1になるので、エネルギー消費は、ほぼ3分の1になる可能性を示している。自動車ばかりでなく、その使用によって大きなエネルギーを使うエアコンや給湯器などは、理論値と現状との差が大きく、エネルギー効率を改善する余地が大きい。
日本の数少ない弱点の一つが建物の断熱である。断熱が悪いから、結露を生ずる。結露がカビやダニの原因になる。トイレやお風呂場が寒いために、高齢者が倒れる。日本の家には真空断熱材を活用すべきだと思う。真空断熱材を大量生産すれば、建材として利用出来るところまでコストを引き下げることが出来る。エアコンの効率が4倍に上がってエネルギー消費が4分の1になり、住宅の断熱効果が3倍になれば、12分の1にすることが出来る。
エネルギー効率は大幅な改善が可能であり、日本のために開発する省エネルギー技術は、そのままアジアに展開されるだろう。


リサイクルで資源の枯渇に対処する

資源価格は上昇していくだろう。2050年頃にはあらゆる資源価格が高くなっているだろう。基礎的な物質をどう調達するかである。「物質循環型社会」を構築することによって、リサイクル率を増し、鉱物資源の自給率を70%に上げていく事が出来る。エネルギー消費の観点で言えば、スクラップは天然資源より遥かによい資源である。金属のリサイクルはエネルギー消費を減らしてくれる。
たとえば金である。鉱山から掘り出す金鉱石1トンに含まれる金は5-10グラムと言われており、この程度であれば品位は高い。これに対して、携帯電話を1トン集めるとそこに含まれる金は250グラムで、鉱山よりも遥かに高品位の金鉱石といえる。「都市鉱山」と言われる所以だ。
今後のこと考えると、電池の材料であるリチウムも重要だ。充電が可能なリチウム電池の生産にあたっては、最初からリサイクルを前提として考える。現在まだリチウム電池の普及率は低く、リチウム資源を採掘して電池を作る必要がある。そのためには日本が資源獲得競争で買い負けないのが前提だが。しかし、最初からリチウム電池のリサイクル・システムを作っていけば、20-30年を経ると、社会には必要とするに十分な量のリチウム電池が保有され、それ以上は要らない状況になる。その時に、リチウム電池のリサイクル・システムが出来ていれば、リサイクルでリチウム資源を採掘して、輸入する必要はなくなる。
ともかく、リサイクルのほうが、地下から鉱物資源を採掘して新たな製品を作るよりも、エネルギー消費は少なくて済む。資源の乏しい日本にとって最適な姿である。それが人類の目指すべきモデルでもある。「物質循環型社会」ができれば、人類は資源の枯渇から解放される。
リサイクルの要は、資源を回収する社会システム、資源を分離しやすい製品設計、そして分離技術の3つである。


環境を保全し森林を再生する

歴史上、多くの文明がエネルギーや建材のために木を伐り、森林を消費して滅びていった。すでに人類は地球上の森林の60%近くを伐採し、アマゾンにまで手を付け始めている。人類文明そのものが森林の消費に突き進んでいるように危倶される中で、森林が国土の70%を占める日本が林産資源の7割以上を輸入している現状は、国際的非難を浴びても止むを得ない気がする。
かつて、日本の林業は立派な産業であった。1950年代まで年間5000万立方メートルほどの木材を生産しほぼ自給していた。その後、外材の輸入が増し、2008年の総消費量は7800万立方メートルであるが、うち国産材は24%に過ぎない。一方、日本の森林の成長量は1億5千万立方メートルあり、少なくもそのうちの70%、1億立方メートル以上を伐採しないと森林を健全に維持できない。だから大きな輸出産業になってしかるべきなのだ。亜熱帯雨林の気候の日本で、林業が成り立たない本質的理由は存在しない。社会的課題の克服と技術開発とによって、持続的で生産性の高い林業を創出すべきである。また林業の復活は森林バイオマスのエネルギーの創出につながる。鍵は、大規模化、機械化、サプライチェーンの構築による林業の創生である。幸い日本は水資源に恵まれている、森林はその水資源の貯水池でもある。
森林が保護され再生すれば、林業は復活し、水資源も保護され、生物の多様性も保存される。

創造需要型の新産業を指向する
欲しいもの、必要なものが売れていく「普及型需要」はそう遠くない将来に飽和する。現在世界の需要を牽引している中国の市場も意外と早く飽和すると予測される。この飽和は、需要構造に決定的な影響を与える。実は需要の中身が買い替えないし更新需要に移行してしまったことが、先進国が苦悩する需要不足の正体なのである。日本ではすでに需要は飽和している。従ってこれまでに存在しない市場を開拓する「創造型需要」に活路を見出さなくてはならない。国内の「創造型需要」の創成は、「普及型需要」産業の国外展開と補完的に進め、その相乗効果を追求するべきである。
需要のあるところに、新たな産業が生まれるのは、歴史の教えるところである。「高齢化する社会」に対応する膨大な新産業があるはずである。安全な自動車、オンデマンド交通ロボットスーツ家事支援ロボット自助介護支援型ハウス、目や歯の再生技術などがこれから出現する製品群であり、これらを動員する社会システムがイノベーションをもたらし、新産業を生むであろう。
ただ高齢社会のために必要な新産業を育成するには、仕掛け、政策が必要である。即ち、市場に存在しないモノやコトは、当初は規模の経済がない為、価格がどうしても高くなってしまう。市民の行動と政府の後押しで、日本市場への積極的な導入を通じて、コスト削減をはかる必要がある。そのためには量産効果による価格低下を促すための政策が必要であろう。例えば地方自治体が、高効率の省エネ製品を大量導入する仕組みを作ることも考えたい。1例をあげる。太陽電池は、日本が世界をリードし続けて来た。「技術の進歩」と「財政の支援」と「制度の構築」という3本柱が、有効に機能してきたからである。しかし、その優位はビジョンなき政策担当者のため失われたのである。
この市場創造は、速やかに行われなければ間に合わない。現実のスピードは私たちの予想をも超えている。これからの市場はグローバルに規格化され、グローバルな競争を展開する分野と、それとは違った形でローカル化していく市場に分かれていくであろうと私は考えている。多くの市場がグローバルに統合されつつあることは確かだが、日本の中で、日本独自の価値観で支えられている市場があるし、またあるべきなのだ。グローバル化の脅威におびえ過ぎないことだ。
即ち、「創造型需要」の創出がプラチナ社会実現の鍵である。


新産業をイノベーションで創成する

環境規制は経済的な影響を踏まえた政策が重要である。環境政策の立案や、経済予測を行う際に、技術予測をいかに反映させていくかは重要なポイントである。規制とその経済的な影響を評価する際に、理論と技術と現状とを対比させる合理的な技術予測が欠かせない。規制をかける際に、その分野でイノベーションの余地がどの程度あるかの視点が欠けている。イノベーションの余地は理論と現実の差である。理論値と現実の値の間に差が、イノベーションの潜在的な余地となる。したがって、理論と現実との間にどの程度のギャップがあるかの判断が重要である。次に両者に乖離がある場合、技術の視点からどこにその原因があるかを見つけ出し、イノベーションの道を探るという手順になる。其の上でイノベーションが起こり得る領域の規制を強めれば、例えば、自動車やセメントの環境規制の様に良い結果が生まれてくる。自動車、エアコン、給湯器、冷蔵庫、照明、太陽電池、蓄電池、燃料電池などは、いずれもイノベーションの宝庫である。


プラチナ構想ネットワークを立ち上げた

プラチナ構想ネットワーク」を立ち上げた。市民が主体となり産官学が協力して、地域に合った「プラチナ社会」の実現を目指す運動である。日本が目指すべきビジョン「プラチナ社会」、運動論としての「プラチナ構想ネットワーク」は、新たな国づくりの方向を示すビジョンである。プラチナ構想は、都市のネットワーク、大学・研究機関のネットワーク、海外の姉妹都市とのネットワーク、この3つのネットワークよって重層的に構成される。市民が主体となり自治体を場として、市民と産官学が連携して暮らしを良くしていこうという行動である。その試みが個々の地域で別々に連携無しに行われるのでは大きな実は結ばない。
有効なネットワークの必要条件としては、「目標と活動を構造化すること」「構造化された知識を共有すること」、構造化された知識を共有した「人のネットワークの存在」、そして、ネットワークを動かすと「本気で決意した人の存在」がなければならない。これらを組織化するのが「プラチナ構想ネットワーク」である。


呼応する地域の動きがある

日本列島は南北に長く、しかも中央に山脈が走っている。そのため、気候、文化、生活スタイルは多様であり、抱える課題も一様ではない。温暖化、再生可能エネルギー、高齢化など、言葉にすれば同じであっても、内容は様々だ。
したがって、ある地域ではスマートグリッドを試行したり、過疎に対応するための情報システム、例えばオンデマンド交通システムや医療システムの構築に取り組んだり、それぞれの地域によって行動はまったく違ってよい。そして、お互いの取組みを知り、刺激し合い、共有可能な知恵は共有し、相乗的に進化する、地域のネットワークを築いていく。
多くの地域で、注目すべき取組みが出始めている。例えば、藤沢市では約19haにエコハウス1000戸を新築し、スマートグリッドを張り巡らして、効率的にエネルギーを使う実験をする。福井県では、今は個別に管理されている健康診断データとレセプト(診療報酬明細書。薬、処置、検査表)のデータと介護のデータを一元化する取組みを始めている。北九州市は環境都市を宣言しアジアの低炭素化を推進するための活動を、横浜市は脱温暖化都市を目指しヨコハマ・エコ・スクール(YES)などに取り組み、京都市は「DO YOU KYOTO?」を合言葉に京都でエコ活動を展開する。北海道の大樹町は「わがやの省エネコンテスト」、下川町は「北の森林共生低炭素モデル社会の構築」に向けた林業再生に取り組んでいる。


プラチナ構想ネットワークの活動は始まった

プラチナ構想ネットワークの活動として「プラチナシンポジウム」「プラチナ懇談会」「プラチナ構想ワーキング」「プラチナ構想スクール」「プラチナ構想ハンドブック」等の活動が始まった。
プラチナシンポジウムは、地域の枢要なメンバーが集まって、他の地域からの参加者とともに集い、当該地域の活性化と地域間連携の実を図る。年2回ほど開催の予定である。
プラチナ懇談会は、200名近い会員が、小人数で自由に議論する場である。月1回は、東京でプラチナスクールが開催されるのに合わせて開催、月にもう1回程度、各地を回って開催する。これにより、会員間の相互理解を深め、ネットワークの実質的意義を発揮出来るようにする。
プラチナ構想ワーキングの目的は、個々の課題を掘り下げることではなく、各地での取組みの早期展開、または早期実現に向けたヒントを見つけ出すことにある。
プラチナ構想スクールは、それぞれの地域に合った「プラチナ社会」の実現を推進する自治体のリーダーを育成するための学校である。ネットワークの必要条件である、構造化された知識を共有した「人のネットワークの存在」を実現する。池に投げた小石が波紋を広げるように、彼らを中心とした幾つかの元気のよい自治体がその周囲の自治体に刺激を与えるだろう。
プラチナ構想ハンドブックは、ネットワークの必要条件である「目標と活動を構造化すること」「構造化された知識を共有すること」を実現するプラットフォームの役割を果たす。エネルギー、環境、高齢化など、我々が直面している課題の多くは、たくさんの要素が複雑に関連し合う問題である。ここで重要なことが「知の構造化」である。知識が凄まじい勢いで増えて、細分化された結果、全体像が見えなくなっているということである。科学が発展し、細分化していくにつれ、人間の価値と科学との距離が、次第に遠くなってしまった。知の構造化は、細分化されて知識を再構成しビジョンを「解りやすく、良くする」ために必要なのである。知の構造化は、「知識の構造化」と「行動の構造化」からなる。プラチナ構想ハンドブックはこれを実装する仕組みである。

小宮山 宏
小宮山 宏(こみやま ひろし)
プラチナ構想ネットワーク 会長
1944 年栃木県生まれ。1967 年東京大学工学部化学工学科卒業。1972年同大学大学院工学系研究科博士課程修了。 1988 年東京大学工学部教授、2000 年工学部長、大学院 工学系研究科長、2003 年副学長などを経て、2005 年 4 月 第 28 代総長に就任。2009 年 3 月に総長退任後、同年 4 月に三菱総合研究所理事長、東京大学総長顧問に就任。
現在の日本を他国に先駆けて課題が顕在化している「課題先進国」と定義し、 この状況を困難であると同時にチャンスと捉え、国際社会で真の競争力を持つために、我々は何をすべきかを説く。また、物質とエネルギーの視点から地球 が持 続 的であるために、2050年までの長期を見据えたロードマップ「Vision 2050」を提唱する。
専門は化学システム工学、地球環境工学、知識の構造化。地球温暖化問題の第 一人者でもある。著書に「地球持続の技術(岩波新書)」、「知識の構造化(オー プンナレッジ)」、「『課題先進国』日本(中央公論新社)」、「低炭素社会(幻冬舎)」、「日本『再創造』(東洋経済新報社)」など多数。

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