活力ある高齢化社会のための食と健康


世界で最も高齢化が進みつつある「高齢化先進国」である日本がこの社会課題に果敢に立ち向かい、活力ある高齢化社会を築くための第一の要件は高齢者の健康維持である。老人学が提唱する「幸せな加齢の5 条件」でもまず掲げられるのは栄養・運動であり、高齢者のすべての活動のベースは当然ながら健康である。寝たきりや介護に依存する高齢者の増加は、個人のQOL(Quality of Life;生活の質)を低下させるのみならず、重い医療経済的負担となってすでに日本の社会全体の大きな課題ともなりつつある。わが国の高齢者人口比率が増え続けること自体はまさに与件であるが、その中でいかに高齢者が自立して社会参画できる健康寿命を維持確保し、いかに寝たきり・介護依存への移行を防ぐかについては個人や社会の努力によるところ大であり、日本が世界に先駆けた解決策を創出することを社会として取り組むべきところでもある。


1.高齢者の食と栄養

(1)高齢者の低栄養状態

日本は現在、社会全体では輸入に頼りながらも飽食状態と言ってもいいくらい食糧供給が充足されている状態ではあるが、その中においても実は意外に高い比率で高齢者の低栄養状態が存在している(図1)。施設入所や在宅の要介護高齢者だけで見ると4 割もの人が低栄養状態(摂取エネルギーやタンパク質の不足)にある。低栄養は衰弱・免疫能低下な下させ、入院加療などを長期化させて医療コストを増大させたり、QOL を著しく悪化させる要因となっている。このような高齢者の低栄養は日本だけの現象でなく欧米先進国においても同様の課題を抱えている。

図1 厚生省「高齢者の栄養管理サービスに関する研究報告書」 (松田明、1996-1999)

(2)高齢者栄養とうま味

このような低栄養状態を惹き起こすのは、摂食・嚥下・消化機能の低下など消化器官の老化による器質的障害によるものもあるが、味覚機能が低下することにより「おいしく食べる」ことができなくなって食欲が減退し、充分食べられないということも大きな原因である。甘味・塩味・酸味・苦味・うま味の5つの基本味の中ではうま味の感度の低下がもっとも食事の満足度を低下させQOL悪化の要因の1つになることが明らかになっている(図2)。われわれの調査によると後期高齢者ではうま味の感度が健常の10分の1程度にも低下している例が少なくないことが見出された(図3)。栄養素の多寡が優先されて必ずしも「おいしさ」にこだわらない例も多い病院食・介護食ではこのような味覚感度の低下した高齢者にはなおのこと味気ない食事となって食も進まないということかもしれない。巴らは後期高齢入院患者対象にやや強いうま味を付加したうま味強化粥(0.5%グルタミン酸ナトリウム含有)を2ヵ月間供する試験を行った結果、免疫活性など含む栄養指標が改善したのみならず、顔の表情や会話などの日常行動や意欲などにも有意に改善がみられた(図4)。いかに「おいしく食べること」がヒトにとって重要かを示しているとも言えるし、うま味の食情報としての生理的重要さを示しているとも言える。「うま味」は「だし」のベースであり「だし」を食文化とする日本だからこそ日本でコンブだしの中からグルタミン酸ナトリウムの味として発見提唱された5つ目の基本味である。長らく欧米では認知されてこなかったが、最近になって味覚の科学の進歩もあり「umami」という言葉をそのまま使って5つ目の基本味であることが認められるに至った。うま味物質が消化促進機能などの非常に重要な生理的役割を担っていることが最近日本の鳥居らのグループ中心とした国際的共同研究により次々と明らかになっており1)、高齢者栄養や高齢者のQOL改善にうま味が利用されることが期待される。

図2 味覚感受性と食のQOL相関性

図3 うま味感受性(閾値)

図4 うま味強化による高齢者の栄養改善
摂取前後での態度・行動の変化

低栄養のみならず高齢者の健康を脅かす生活習慣病は「食」ときわめて密接に関連する。高血圧、高血糖、高血中脂質、過体重などのいわゆる「メタボリックシンドローム」またはそれに準ずる状態は脳血管障害や糖尿病、心疾患などの疾患のベースとなり、ひいては寝たきりや認知症など要介護状態を招くことになる。これらには遺伝的要因もあるが食習慣や運動習慣などが大きく発症に影響する。肥満や過食傾向の先進国を中心に日本食の健康価値が認知されてきているが、野菜や魚介などの素材の味を生かし、カロリーや脂肪分が高くなくてもおいしくて食の満足感が得られるというのがその背景にあると思われる。このような日本食のコンセプトを支えるのも「だし」の文化であり、うま味が貢献している。うま味をうまく使うことで脂肪分や、高血圧の原因の1つとされる塩分の過剰摂取を防いで適度な食の満足感を与えることは、肥満や糖尿病、高血圧などの予防にもつながるものである。umamiのこうした側面は欧米でも注目されつつあり、ヒト試験での実証論文も散見されるようになってきたが、umamiのコンセプト自体が日本発であり、その機能応用についても日本が主導的に進めて世界に訴求できる領域である。

(3)筋肉と骨の栄養:「ロコモティブシンドローム」の予防

高齢者では加齢とともに筋肉量が減少し運動機能も衰えてくるのが一般的である。ホルモンや代謝機能の低下、活動性の減少や栄養状態に起因する。この「サルコペニア」と呼ばれる筋肉の量や機能の低下症状は大多数の高齢者に老化とともに多かれ少なかれ現われ、それ自体に深刻な自覚症状はないにしても高齢者の虚弱・転倒・骨折などの要因となり、寝たきり要介護状態を惹起する社会的には深刻な課題である。Janssenら2)によるとサルコペニアを伴う転倒・骨折などにより米国で年間185億ドル(現在の為替換算で1兆4000億円)もの医療介護費用を生じさせているという。筋肉量を維持し筋肉のエネルギー源となる栄養成分としては分岐鎖アミノ酸(ロイシン・イソロイシン・バリン)がよく知られている。高齢者の身体活動レベル(自立活動レベル?寝たきりレベル)と血中のアミノ酸濃度の相関性を調べたところ分岐鎖アミノ酸の血液中濃度レベルと身体活動レベルの間には密接な相関関係があることが確認できた。体内で生合成できずタンパク質などの食物を通じて摂取する必要がある必須アミノ酸である分岐鎖アミノ酸の血液中濃度が低いことはこれらの栄養素が不足していることを示唆し、分岐鎖アミノ酸の栄養強化の効果が期待される。実際に筋力筋量の低下した高齢者を対象に分岐鎖アミノ酸高配合の必須アミノ酸投与と運動負荷を組み合わせる3ヵ月間の試験により対照群に比べ筋肉量、筋力、歩行速度が改善されることが示された3)。このことは単に栄養不良がその不足栄養素を補って改善されるということ以上の意義がある。寝たきり移行の原因の4分の1ほどは転倒・骨折なのでこのような栄養介入で予防効果が発揮できれば個人のQOLのみならず社会の医療経済的メリットも十分期待できると考えられる。
寝たきり要介護移行を防ぐためには筋肉に加えて骨折予防のための骨の健康も重要な課題である。高齢化に伴う骨密度の低下やそれがさらに病的に進行する骨粗しょう症を防ぐには牛乳や小魚などのカルシウムを多く含む食材を摂ることや、カルシウム強化食品やカルシウム製剤などによる積極的栄養介入が効果的である。老化に基づく筋肉や骨などの運動器官の器質的機能的障害を日本整形外科学会が世界に先駆けて「ロコモティブシンドローム」という新しい概念として提唱、高齢化社会を迎え、寝たきり要介護を防ぐために臨床医学からも取り組むべき課題としている。4)

2.高齢者栄養と社会的取り組み

高齢者栄養の課題については、我が国は世界に先駆けた課題先進国でもあるがそれに対処するためのソリューションについても上記のように先進的かつ日本ならではの取り組みが用意されつつあると思われる。ただしこの課題に対する個人や社会の受け止め方の深刻度真剣度はまだまだ充分ではないように思われる。今後高齢者人口労働人口比率が益々大きくなる中で、個人のレベルでは自立できるレベルの健康を維持し社会に貢献し続けることや寝たきり要介護となることで次の世代に過度の負担をかけないことについてのより真剣な自覚・認識と予防ケアに取り組むことが求められるし、社会全体としてそうしたことの啓発やサポートの仕組みの充実などの積極的介入がより必要である。現状の延長線上の自然体では社会の高齢化進行に基づく医療経済の深刻な悪化や破綻に向かうことは明らかである。
寝たきり要介護を予防するための栄養も重要だが、寝たきり要介護になってからの栄養もすでにより積極介入が必要なレベルの低栄養状態の人の割合が高いというのは前述の通りである。医療費負担がもとより大きいそのような高齢者の栄養については残念ながら概して質、量とも充分なケアがえられているとは言えないのが現状ではないだろうか。人生の最後の時期を過ごす後期高齢者の最大関心事は「食事」というデータがあるがまさに「食べることは生きること」という状態になる。「豊かな高齢化社会」と言えるためにはよりおいしくより栄養を充足できるような食事を高齢者の方々が普通に摂れるようにしたいものであるが、医療コスト負担の増大や、高齢者食・介護食領域の事業採算性の低さなどから満足すべき状態にはなっていない。充分な栄養ケアが高齢者のQOL向上やひいては医療コストの削減にも貢献しうるという観点から、もう一歩進んだ社会的仕組みや政策、あるいは企業による事業インフラの整備などが求められる。

3.ライフイノベーションとアミノ酸による予防診断医療

我が国の科学技術政策の指令塔たる内閣府総合科学技術会議が平成23年と24年の優先実施課題アクションプラン5)に掲げているのはライフイノベーションを通じて心身ともに健康で活力ある社会の実現、高齢者・障がい者が自立できる社会の実現を目指すということである。より具体的にはゲノムコホート研究など臨床関連情報の統合による予防法の開発や、がん、生活習慣病の合併症等の革新的な早期診断・治療法の開発、高齢者・障がい者の機能代償・自立支援技術開発などの課題の推進が提唱され、活力ある高齢化社会に向けて我が国が世界に先駆けるべきことが謳われている。
3番目の高齢者・障がい者の機能代償・自立支援技術という課題ではアクションプランでは日本の優れたエレクトロニクスやロボット技術応用に焦点があてられているが、ロボットにお世話になる前に前述のような日本ならではの高齢者栄養ケアに取り組まれてしかるべきである。疾患予防・早期診断に関する技術としては世界的にはゲノム解析に基づく技術の開発などが盛んに行われているが、我が国独自の新しい診断技術として我々は血漿中アミノ酸の分析に基づく「アミノインデックス技術」を開発し、早期がんも含むがんの検査技術として事業を開始している。この技術は血漿中の20種のアミノ酸の濃度パターンが通常はかなり一定に保たれるが疾患などの体調変化によりアミノ酸パターンに疾患特異的に変化が現われるという事象に基づく検査法で、数千例以上の臨床データ集積により早期がん含むがんのリスク診断を可能とする検査法が確立された5)。がんの治療法は種々開発されているが未だに充分とは言えず、がんによる死亡者は増加し続け治療コストも患者本人にも社会にも重い負担となっている。がんの克服には早期に発見することが非常に重要で、早期がんの診断法開発はトータル医療コスト削減からも大変意義深い。この方法はがん早期診断に留まらず前述のような高齢者の栄養状態の診断や生活習慣病の診断などへの応用、さらには予防医療テーラーメイド医療テーラーメイド栄養ケアへの展開も可能と考えられるが、今までと全く異なる新しいコンセプトの診断法であるが故に認知・浸透には時間やコストもかかる。学会や行政とも連携しながら、「創造型需要」の創出を図りたい。人種などによる差異については今後データを積み重ねる必要があるが、世界に通用する新しいコンセプトの日本発診断技術としてグローバル展開が期待される。

1)畝山寿之、鳥居邦夫(2010)
 「うま味の内臓感覚を介する食欲および嗜好性の調節」(総説)
 日本味と匂学会誌 17(2), 97-108
2)Janssen, I. et al“The Health costs of sarcopenia in the United States”
 Journal of American Geriatrics Society 52: 80-85(2004)
3)Kim et al., Journal of American Geriatrics Society(in press)
4)日本整形外科学会HP
5)総合科学技術会議HP
6)Miyagi Y. et al“Plasma Free Amino Acid Profiling of Five Types of Cancer Patients and Its Application for Early Detection”PLoS ONE(2011)6(9)e24143
三輪 清志(みわ きよし)
味の素ファインテクノ株式会社 取締役会長
味の素株式会社 アドバイザー
東京大学大学院博士課程修了(農学博士)後、1977 年味 の素(株)入社。研究所にてアミノ酸生産菌の分子育種等に 従事。1984 年より 2 年間米国ハーバード大学にて客員研 究員として免疫学研究に従事後帰国。味の素(株)中央研究 所主任研究員、創薬研究所長、執行役員ライフサイエンス研究所長、取締役常務執行役員研究開発統括、AJINOMOTO-GENETIKA Research Institute(Moscow)取締役会議議長等を経て、2009年取締役専務執行役員。2011 年同社取締役退任し現職。
社会活動
(社)日本経済団体連合会 産業技術委員会産学官連携推進部会委員
(財)バイオインダストリー協会 理事
(社)バイオ産業化コンソーシアム 理事
奈良先端科学技術大学院大学バイオサイエンス研究科アドバイザー委員 など歴任。
主な業績
単行本「バイオテクノロジー基礎講座」(共著 工学研究社)
「バイオサイエンスのための新しい分子遺伝学」(共著 南江堂)
「ワトソン組換え DNA」(共訳 丸善)他

サイト内検索